こんにちは、こばんです!
今後のフリー看護師としての身の振り方を考える中で、どう進んでいくべきか、少し迷子になっていました。
そんな時に読んでいた書籍に「なぜこの事業なのか」「他に色々な仕事がある中でなぜこの仕事を選んだのか」という問いかけがありました。
そこで原点に戻り「看護師を目指した理由」と「フリー看護師として活動する目的」について執筆することにしました。
読んでいたのは『成功する人たちの起業術「はじめの一歩を踏み出そう」』というマイケル・E・ガーバーさんの書籍です。
看護師を目指した理由
じっくりと自分が看護師になったきっかけを振り返ってみたので、語りたいと思います。
僕の看護師としての原点は「人助け」をしたいという使命感だと思います。
そういえば、なんで看護師を目指したのだろう・・・
特に、幼少期に入院して看護師に世話になった、とか、祖父母が入院していて病院で出会った看護師の姿に憧れた、とか、親が医療職をしていて自然と同じ道を選んだ、とか
そういったエピソードはなかったんですよね。
男性で、なんで看護師になったの?とよく聞かれるのですが、そのたびに回答に困っていました・・・笑
なので、自分の看護師の原点を、小学生時代から振り返って考えてみました。
小学生時代
小学生の頃、同学年に特別支援学級の子がいました。
自閉症、ダウン症、オストメイト(肛門奇形でお腹に肛門を造設している子)など、色々な障害を持った子たちが居たと思います。
その友人らと僕は、登校班が一緒だったり、クラスメイトになったりと、距離が近かったこともあり、自然と仲良くなったのを覚えています。
その支援学級の友達は、学校行事やクラスでの生活においてサポートが必要でした。
そこで、僕は側にいて手助けをする役割を担うようになりました。
「近くにいるから」「友達だから」と、特に理由はなかったと思います。
誰かのサポートがないと生活できない人もいるのだな
と小学生の自分は思っていましたし、その存在はごく自然なことでした。
また自分にとって手助けをすることは当たり前のことになっていました。
そして、そのような行動をとっていると、クラスの担任の先生、自分の親、その友人の親から称賛されることが多かったです。
小学生ながら自分が誇らしかったですし、人として正しい行動なのだなと思いました。
単純に、大人から褒められるのは嬉しかったです笑
このような経験から、自分は「誰かを助けられる人でありたい」と思うようになりました。
そして「人助け」のイメージが僕の中では「医療」だったため「将来は医療に携わる事をしたい」と小学生の頃から思い描いていました。
なぜ医療なのかは特に思い出せないのですが、ドキュメンタリー番組とかドラマとか、漫画の影響でしょうか。
パッと思いつく漫画は親の実家に置いてあった『ゴッドハンド輝』という医者が主人公、ヒロインが看護師の漫画でしょうか・・・
親の実家は漫画の宝庫で、行くたびに色々な漫画を読み漁ってました笑
中学生時代
年数を経るとともに徐々に「どういう職業に就きたいか」と、夢が具体性を帯びてきました。
ただ、中学ではまだぼんやりとしていました。
特別支援学級のクラスメイトはさらに多くなり、仲良くしていたのは覚えています。
でも、職場体験があったのですが、そこで医療関連の体験をする、ということはなく、友達と同じところを選びました。
確か、博物館の仕事が人気がなく、希望が通りそうだからという理由で選んだ気がします・・・笑
まだまだなりたい職業については、遠い未来であり、中学生時代はじっくり考えることはしなかったと思います。
高校生時代
こうして、ぼんやりしたまま高校生になるのですが、進学時も明確な道は見えておらず、進学と就職と、どちらの道も選べるような高校に進みました。
高校は就職にも力を入れている学校であったため、職業適性を調べたり、いろいろな職場見学の機会がありました。
そんな中で「看護師」という職業が選択肢として出てきたのです。
初めて選択肢に上がったのは、父親の「男性看護師が増えてきているらしい。給料もいいし、くいっぱぐれないし、いいんじゃないか」という発言だったと思います。
また職業適性でも、医療職として看護師や理学療法士が出てきた記憶があります。
このような経緯で僕は「看護師」に興味を持つようになりました。
そして病院の職業体験に参加することにしました。
そこで、
患者さんにここまで身近な存在として「人助け」ができるなんて、なんて素敵な職業なんだろう
と、働く看護師の姿に強く感銘を受けた記憶があります。
また、看護師になる方法を調べる中で、兄が通う大学に看護学科があることを知りました。
自分も同じ大学を目指せば看護師になれるのだなと、進むべき道がはっきりと見えた瞬間でした。
こうして僕は「看護師」になることを決心しました。
そして、晴れて大学に合格し、4年間の看護学生時代を経て、看護師になることができました。
振り返ると、幼い時から周りに他人の助けが必要な人がいて、誰かを助けることは人として自然なこと。そんな環境が看護師の僕を作っていったようです。
フリー看護師として活動する目的
こうして看護師になり三次救急病院に勤めたのですが、なんと4年間勤めた後に辞めることにしました。
なんで!?
せっかく夢が叶ったのに、、、
小学生時代から思い描いてきた「人助け」ができる職業にようやく就けたのに、なぜこんなにも早く辞めることになったのでしょう...
看護師の仕事が大変で嫌になったのか?
なら、なぜ「看護師」から違う職業に転職しなかったのか?
なぜ、周りと違う「フリー看護師」という道を選んだのか?
「フリー看護師」としてのビジョンを語るためには、まずは「看護師」を辞めた理由を語らなければなりません。
そして、その後に「フリー看護師」として活動する目的について深堀りしていきたいと思います。
明確なビジョンなく、流れに身を任せて生きていると、迷子になるかもしれません。
今一度、言語化していきたいです。
先に一つ言えるのは
「看護師」の原点も「フリー看護師」の原点も変わらないです。
「人助け」をしたい。これが、僕が看護師を続ける理由です。
入職後:やりがいを感じながら
新卒で三次救急病院の救急領域に勤め、楽しく働いていました。
部署にお局らしき存在はいましたが、特に自分に害はなく、先輩方や他の上司から可愛がられ、やりたいこと・学びたいことをさせてもらい、同僚にも恵まれました。
真摯に患者さんと向き合い、何度も感謝され「人助け」ができている実感しかなかったです。
周りの同期は人間関係や激務のつらさに「辞めたい辞めたい」と嘆く中、自分は環境にも恵まれているのだな、と感じていました。
だから、この職場を辞めたい!!という気持ちは1ミリもなかったです。
看護師の仕事は自分にとって「天職」だな、とやりがいを感じながら働いていました。
迷走:「看護師」の限界を感じて
一方で、看護師としての自分の将来像を思い描けずにもいました。
このまま病院で働き続けて自分はどんな看護師になっていくんだろう。やりがいを持って働き続けられるのだろうか。
というのも、周りの先輩や上司、SNSで発信する看護師、どこを見ても「生き生きと働いている看護師像」を見つけられなかったからです。
仕事や給与に対しての不平や不満ばかりが話題に上がり、心を病んで辞めていく看護師もたくさん見てきました。
また、忙しくなりストレスがたまると、助けるべき患者さんにキツくあったり、患者さんに対する愚痴や文句ばかりを言ったりする看護師が目につくようになりました。
もちろん、そういう面だけではないですし、身近にいる先輩や上司が真摯に患者さんと向き合い、活躍している姿も見てきました。
でも、
自分もいつか不平不満ばかり言うようになるのか。
「人助け」をしたい思いで看護師になったのに、それすらも失われてしまうのか。
と、理想と現実の間で、進むべき道が見えなくなってしまいました。
また報酬に関しては、看護師は初任給がよいだけでそれ以降の昇給は期待できないという情報も多く耳にしました。
看護師の成功例として話題に挙がるのは、訪問看護ステーションを立ち上げ、社長になること。
それだけが夢と野望がある選択肢だと学生時代から聞いていたが、その選択肢もそんな明るいものではなく、立ち上がった訪問看護ステーションの半分は潰れていくと知りました。
ようやく成功しても厳しい世界だし、そもそもの選択肢がそれしか無いって少なすぎる…
そんな中でも真面目に頑張っていたので、上司からは評価してもらい、スペシャリストを目指すべきだと強く勧められ、その話に応じて部署の異動もしました。
でも、病院から用意されたキャリアであるスペシャリスト(専門領域を極める認定看護師や専門看護師の資格)になっても、責任と仕事は増えるけれど給料は増えない。
切り開く道にも、用意された道にも、希望を見出せずにいました。
人を救う看護師自身は救われない仕事なんだな、、
そうして、そうこうしているうちに、コロナがやってきました。
コロナで日本中の医療職が「この世の終わり」みたいに疲弊し、鬱々とした雰囲気になっていきました。
自分を犠牲にして使命感だけで乗り切る
そんなコロナの最前線で働いて、ついに今いる「看護師」の世界に限界を感じてしまいました。
この世界で妥協して続けていくべきか。
違う世界を探して抜け出すべきか。
恵まれた労働環境、人間関係を捨てるべきか、しばらく葛藤しました。
でも、一度外の世界を見てみたい。
そう思うようになりました。
そして、上司に退職を申し出て、新卒から務めた病院を辞めることにしました。
コロナもきっかけの一つではありましたが、コロナと闘いながら働く日々は勉強にもなり、医療職が一致団結して世界を取り巻く問題と向き合う。
そんな環境は楽しかったし、やりがいがありました。
手当てが付いて給料も増えていたので悪い面だけではなかったです。
退職後:新しい働き方を探して
病院を辞めることになり「今後何をするのか」という選択を迫られました。
これまでいた「看護師」の世界に希望を見いだせていなかったため、同じ環境に居続けるという選択肢はなかったです。
物販などの副業も始め、利益も出始めていたので、看護師を辞めてそれ以外の業界での仕事を頑張ってみるのも選択肢の一つにありました。
実際に看護師を辞めて、全く違う分野に転職している人や事業をしている人と出会う機会、SNSで見かける機会が多くあり、選択肢として魅力的なものだったと思います。
でも、看護師を辞めたいという気持ちは出てきませんでした。
自分にとって看護師は、お金のために何となくなった職業ではない。
天職だと感じる看護師の仕事を続けたい。
こういう思いが強かったからです。
看護師を続けながら、今までとは全く異なる働き方、世界で生きるにはどうしたらよいか。
だったら、今までにない看護師の働き方をしてみてはどうか。
元いた世界に「生き生きと働く看護師」を見つけられないのなら、周りと同じ行動をしていてはダメだ。
人と違う選択肢を取ってみよう。
それが「フリー看護師」という働き方でした。
フリーランスが増えてきていた時代の流れもあり、看護師もフリーランスとして働けるのではないか?
そう思ったことが出発点でした。
当時、周りにモデルとなるフリー看護師は居なかったですし、全く未知の世界でしたが、新たな挑戦にワクワクしました。
こうして、現在に至るまでの2年間、様々な変遷や苦労はありましたが「フリー看護師」としての活動を続けています。
具体的な働き方は、過去の記事にはなりますが別の記事で触れているので、割愛します。
今後:フリー看護師として目指すもの
この2年間はコロナバブルというのもあり、様々な仕事に恵まれ、なんだかんだやれてきたフリー看護師。
ただただ目の前の仕事と向き合い、走り抜いてきました。
今後自分がどのような目的を持ってフリー看護師を続けていくのか。活動の軸を固める必要があると思います。
そこで振り返ってみると、
フリー看護師になってから、いろいろな人と出会い、いろいろな仕事をして、いろいろな場で発信をする機会があって、自分の中で明確になったものがあります。
それは「フリー看護師」は、他人、自分、そして看護師にとって希望の光になる働き方、だということです。
ここまで言い切ると、そんな偉大なものではないか、とも思いますが・・・笑
少なくとも、僕は看護師の将来性に光を見いだせず病院を去っていきました。
でも、フリー看護師になってから出会う全員が、僕のフリー看護師としての働き方に対して
「そんな働き方があるのか、うらやましい!」
「看護師をしています!是非話を聞いてみたいです!」
「素敵ですね!看護師やってる友人、妻に話してみます!」
こう言って、目をキラキラさせながら話を聞いてくれるのです!
そして、働きにいく先々では、
「来てくれてありがとう!」
「自由が利く看護師さんはなかなか居ないし、パートの看護師さんには頼みにくい仕事だから助かるよ!」
「素晴らしい働き方だね、またお願いするよ!」
とても感謝され、働き方の一つとして求められていることを強く感じました。
そして、何より自分で仕事も働き方も選べるという自由度は
楽しく看護師を続けられ、自分を犠牲にした無理な働き方をしなくて良い、と感じています!
このように、フリー看護師としての活動を続けることで
「看護師」の世界に絶望していた過去の自分と同じ境遇にある看護師にとって希望の光となり、限界を感じている看護師を助けたい
そして「フリー看護師」が社会から求められ、仕事として需要があるのであれば、様々な仕事を通してサービスの対象となる人や困っている人を助けたい
そして、そんな自由な働き方ができるのであれば、無理な働き方を続けて身も心も壊してしまう未来の自分自身を助けたい
と思っています。
「フリー看護師」なら、生き生きと働きながら「人助け」ができるはず!!
そして、その可能性を示し続けるためにも「フリー看護師」として活動を続け、結果を出し、前例を作っていかないといけないと考えています。
これが僕が「フリー看護師」として活動する目的だと思います。
おわりに
最後まで、長々と僕の過去の回想と思いを綴っただけの記事をお読みいただき、ありがとうございました!!
今回、一度看護師の原点を振り返ることができたのは、本当に良い時間だったと思います。
明確な目的があり、自分自身に軸があれば、多少ブレても、手段や方法が変わっても、ゴールに向かい続けられると思います。
この記事の内容を胸に刻みつつ、小学生の時から思い描いていた「人助け」を今後も「フリー看護師」として続けていきたいです。